石橋(通潤橋を除く)

八勢眼鑑橋   下鶴眼鏡橋
地図

 下流右岸から見たところで、八勢川に架かる石橋であるが、正面に小さな石橋もかかっている。更に、この写真では見えないが、石畳の手前のところに、小さく人物が写っている丁度下のところに、本流に沿って用水路があり、ここにも石橋が架かっている。

上の写真の上流側より撮影

上流正面より
八勢川下流より、アーチの間に見えるのは新橋。
八瀬目鑑橋から上流を望む  八勢の眼鏡橋から石畳の道を上がりきったこの道は、400年以上昔から明治に至るまで日向街道といって熊本県と宮崎県を結ぶ唯一の街道であった。
 八勢橋の架かる場所は、「八勢の谷渡り」といわれる難所であった。
 ここに私財を投げ打って石橋を架け、住民の安全を守ろうとしたのが、御船の豪商林田能寛。谷深い難所にわずか4ヶ月で立派な大橋を造りあげた。以来人馬の犠牲はなくなり、往来が盛んになったといわれている。
八瀬目鑑橋から下流を望む
建築年 安政二年(1855)
長さ  62m
特長  大小二連橋
石工  卯助・甚平 
橋から続く石畳も林田能寛によって架橋時に造られた。 橋からは日向往還の石畳が続く。


八勢川本流に、直角に流れ込む谷川に架かる石橋。









本流に沿い用水路に架かる石橋、本流の橋と、この用水路の橋で、大小二連橋となっている。
用水路下流から 用水路上流から 用水路上流から







下鶴眼鏡橋
地図

八勢川が御船川に注ぐ合流点で、谷も深く昔から交通の難所であった。  下鶴橋は、県下の石橋の中では新しいほうで、勘五郎・弥熊父子の各々の持ち味がある。
 全体の風格、石組みの美しさは勘五郎の晩年の作で円熟している。
筒状に削った手すり、トックリをくり抜いたデザイン。
擬宝珠(ぎぼうし)も凝っている 金鶏菊(キンケイギク)






不動明王